自分はasexualかもしれない、という話

*ブログ第2弾です。今回はちょっと短めです。前回に引き続き恋愛の話になっちゃうけどごめんなさい。暇がある時に読んで感想でもヤジでも飛ばしてくれると非常にありがたいです。別にそんなシリアスなリスポンスはいらないので適当に思ったことをバンバン聞かせて欲しいです。

 

 

生まれてこのかた、恋愛をしたことがない。これまでに好きな子はいたことがあっても、その全ては自分の一方的な思い(というより、「あの子かわいいな」「あの子おもろいな」とかそういうレベルのものでもはや「思い」と呼べるものですらない)で終わっていて、何が何だかよくわからない感情のまま自分の中でいつの間にか自然消滅していった。最後にそういう恋愛っぽいものに触れたのは小中の頃に好きだった女の子(多分相手も自分のことをそう悪く思っておらず、バレンタインのチョコをもらったりたまに遊んだりしていたが、お互いあからさまに恋愛感情を出すこともなかったので恋愛対象として好きだったのかすら不明である)との謎の関係だったが、それもまともに「恋愛」と呼べるものですらない関係のまま終わってしまって、結局自分の中での恋愛経験値はほぼ蓄積されないままここまで来てしまった。だから恋愛がなんなのかいまだに全くわからない。

 

先学期の失恋(?)の話(なんのことかわかってない人は詳しくはブログ第1弾参照)も、今から考えてみれば「価値観が合うと思っていた人が実はそうではなかった」というだけの話で、その相手がたまたま女の子であっただけで、別に失恋ではなかったのではないかという気がするのだ。要するに、その相手に対する「好き」は友達としての「好き」であったということである。「価値観が合うと思っていたがそうではなかった」からの「自分について深い質問を投げかけられた」というダブルパンチが入ったことで、ダメージが余計大きくなっただけではないかと思う。

 

結論から書こう。自分はどうもアセクシュアルではないかという気がする。つまり、恋愛ができない。他人に対して愛情は持てても、恋愛感情は持てない。誰かを友達としていくら好きになろうが、恋愛対象にはならない。そんな気がする。

 

そうはいっても、恋愛が何かわかっていないので、自分がアセクシュアルであることに確信を持てずにいる。まず、友達としての愛情と恋人としてのそれの違いがわからない。基準の違いだろうか。恋人ならここまで献身的になれるけど、友達ならここまで、みたいな感じなのだろうか。それともこの二つは一緒で、ただ一つの違いは自分の性的指向だけなのだろうか、つまり、好きな人がいて、その人と肉体関係を持てるか持てないかということが友人と恋人との違いなのだろうか。

 

別に恋愛自体を嫌っていたり、恋愛したくないわけじゃない、と思う。恋人同士として誰かと一緒に時間を過ごして生活を密に共有するのは素敵だと思うし、お互いに支え合って生きていくのはきっと自分の人生をより豊かにしてくれるだろう。恋人から受けられるサポートは多分自分の中で他の誰から受けられるどんな助けよりも大きな助けになるのだろう。それと同時に、別に女性(もしくは男性も)を魅力的だと思わないこともない。先に書いたようにかわいいとか美人だと思う女性はいくらでもいるし、かっこいいと思う男性もいくらでもいる。というよりむしろほぼ毎日そう感じることの連続で、文字通りhave a crush on everyoneといっても過言ではないような気がする。ただ、それらがそこで終わってしまうのが、どうにも他の人と違うところではないかと思う。

 

このブログを読んでいる僕の友人諸兄&諸姉はほぼ異性愛者だと認識しているが(もしそうでないなら、このあなたについてどうしようもなく無知な友人をどうか許して欲しい)、もしあなたが男性なら身近にとんでもないイケメンで性格も良く自分と気が合う人がいることを、女性なら身近にとんでもない美人で性格も良く自分と気が合う人がいることを少し想像して欲しい。あなたはその彼・彼女に「こいつめちゃイケメンやな」「その子美人だよね」「あの人はいい人だな」という感想を持つことができる。もしくは、ある程度性的な視点を入れるとしても、「あいつはダンディだ」とか「あの子色っぽい」という感想すら持つことができる。しかし、あなたはその人と友達になることはできても、恋人になろうとは思わないだろう。

 

だが逆ならどうだろうか。男性諸君は身近にどうしようもない美人で性格も良く気が合う人がいることを、女性諸姉は身近にどうしようもないイケメンで性格も良く気が合う人がいることを想像して欲しい。あなたはきっと、その人と友達になろうと努力するだろう、その人と肉体関係を持ちたいと思うだろう、そしてあわよくばその人の心を手に入れたいと願うだろう。

 

自分にはそういった感情がない。恋愛をしたいとは思いつつも、どこの誰に対しても、男性諸兄が同性のイケメンで気が合う相手に対して、女性諸姉が同性の美人で気が合う相手に対して持つような感情の段階で止まってしまう。つまり、美人を見て「美人だな」とかイケメンをみて「イケメンだな」という感想ーちょうどあなたが優れた容姿を持つ同性に対して持つ感想ーを持つだけで、友達にはなりたいと思うものの、何か特別な関係になろうと思わない。誤解を恐れず言えば、友達というポジションを捨てて恋人になりにいこうとする姿勢が理解できない。

 

世の中の人は自分が誰かを見て「あの子綺麗だな」とかいうと「話しかけてこい」みたいな感じで煽ってくる。そうやって煽ってくる人たちに悪意がないのはわかっているので、そういうアレじゃないんだよなと思いつつも反論もなく流したりするが、自分が恋愛をすることを期待されているようでしんどい。自分にとって女性(あるいは男性)を見て綺麗だと思うことはその子が恋愛対象であることと同値ではない、というか必要条件でも十分条件でもないもの(誰かが恋愛対象であるという事象が空集合状態)なので、どう反応すればいいのか非常に困る。

 

もっと率直に言うと、誰かと肉体関係を持ちたいとあまり思わない。肉体関係についても全く経験がないので、肉体関係を持ちたくないというと食わず嫌いのようになってしまうし「童貞のくせになに強がってるんだこいつは」という話になりかねないのだが、誰かと肉体関係を持つ意味が、よくわからない。これもまた、概念自体は非常に素敵なことだとは思う。他人と密な一夜を過ごすのって非常に楽しそうだし、お互いのことを知る・互いに支えあっている実感を得るのに役に立ちそう、そしてもしかしたらその一連のプロセスは心地よいのかもしれない。しかし、同時にそれが別にセックスである意味が、よくわからない。

 

ここまで書いてきて、なんで今このタイミングでこんなことに気づいたのか、ということについても考えがいったので少し書いてみようと思う。そして、この質問に対する答えは男子校生活そのものであると思う。男子校に入ったが故に、自分は、他の人が恋愛についてもっとも経験を積むであろう時期を恋愛に全く無関心なまま過ごしてしまった。振り返ってみれば中高でまともに恋愛に触れたことがない。他の学校の友人との繋がりもほぼなく、女性との繋がりもほぼなく、同期の友人の恋愛話もほぼなく、もし友人の恋愛話を聞いてもその相手の女性が誰か知らないのでなんの話をしているのかさっぱり、という状況で、恋愛について真剣に考える機会がなかった。そうすると、自分の中での恋愛観みたいなものは完全に他の同年代男子が持つであろう恋愛観に頼るしかなく、結果、自分も周りと同じだと、あまり深く考えることもなく信じていた。また、ゲイセクシュアルの人ならば自分が周りと違うと気づくのも容易いのかもしれないが、周りに女性がいない男子校という空間では誰も恋愛をしていないのがデフォルトなのである。自分がもし仮に本当にアセクシュアルだとして、それに気づくのは(実際何も気がつかなかったわけで)到底無理だっただろうと思う。

 

繰り返しになってしまうが、別に恋愛に対して嫌悪感があるわけでも性交渉について嫌悪感があるわけでもない。むしろ、もし自分がその相手を人間として好きで、相手も自分に恋愛感情を抱いているか、もしくは二人の間に合意があるのならば、恋愛っぽいものも性交渉っぽいもの、もしくは結婚生活っぽいものでさえもできるような気はするし、経験として・また自分が本当にアセクシュアルなのか確かめるためにそれらをやってみたいとすら思う(まだこのようなことを言えるあたり、完全にアセクシュアルというわけではないのかも?)。もしかすると恋愛関係のようにお互いを無償で支え合うことのできる関係性が自分が大学生活を生き延びる上で僕が今一番必要としているものなのかもしれない、とも思う。だが、自分の中で、恋愛とその他一連の諸々は経験としてやりたいだけで、もし将来どこかのポイントでそういう経験をすることになったとしても、それは自分の中で純粋に恋愛感情とか性的欲求からくるものにはならないのだろうとも(あくまで推測の域を出ないわけだが)思う。そしてーこれも僕の勝手な推測だがー純粋に恋愛感情からくる関係性でなければ、その関係は多分恋人でないし、二人に間にある何かは恋愛ではないのだろう。

 

人はこうやってよくわからないドツボにはまっている自分を慰めるために「どっかでいい人が見つかるかもよ?」なんて言葉をかけてくれたりする。でも、もし本当に自分がアセクシュアルならそういう未来はこないわけで、そうやって自分にかけられた言葉は、純粋な厚意に裏打ちされたものでありながら、その言葉が意味するものとは全く逆のシチュエーション、つまり、自分は自らが課した枷に縛られて、他の人が描くような「幸せな生活」とかそういうものはないまま一人で生きて死んでいくというシチュエーション、を直視させてくる。この暗澹たる将来設計を考えるたびに、それはしんどいから御免だと感じると同時に、別に恋愛しなくていいならそれでいいじゃんというような、ちょっと安心したような気持ちにもなる。

 

だから、正直な話、自分でも何をどうしたいのかわからない。というよりもまず、どうにかなるものでないのかも、どうにかなるものなのかもわからない。いつに日か白馬に乗った王女(王子?)が現れて自分の麻痺した感情を完全に解きほぐしてくれるのかもしれないし、もしかしてそこらへんの女の子と適当にhook upを繰り返していれば改善(?)するものなのかもしれないし、もしかしたらこれは一生このままで、自分はこのまま独り身でいくのかもしれない。ただ今唯一わかることは、自分はアセクシュアルかそうでないかのグレーゾーンにいるのだろう、ということだけだ。